風が吹けば・・・・・

桶屋が儲かる。とことん分業化が進んで世の中が複雑になると、因果が見えにくくなりますね。「風が吹けば桶屋が儲かる」な話が、笑い話じゃすまされない。そんな出来事も現代では珍しくありません。というか、それは、人間がことの原因と結果の結びつきに鈍感になってしまったということなのかもしれません。
過失。怠慢。誰にでもあることです。だから、そのこと自体は必ずしも責められるべきことではないのかもしれません。雪道でハンドルを取られて、車がスピンしてしまった。その失敗は無罪です。でも、もしそのとき自分の車が道路脇の店に突っ込んでしまったり、路側をあるく人をはねてしまったりしたら、その結果に対しては責任を負わなければなりません。当たり前のことです。
しかし例えば、あなたが近所で野良犬を見かけて保健所に連絡したとします。その犬は捕獲され、早晩安楽死させられます。自分ではゴキブリ一匹殺せない心優しいあなたはもちろん、自分と同じ赤い血が流れている犬を自らの手で始末することなどできませんが、保健所に電話をかけることには心が痛まないかもしれません。原因と結果が距離的にも心理的にも離れている結果、「たしかに私は保健所に電話はしました。でも、私が犬を殺したわけではありません」、という言い訳ができるからです。
同様の、あるいはもっと醜い言い訳が、毎日のように新聞やテレビの中で語られています。「本校ではたしかに、教師の生徒に対する行き過ぎた言動がありました。そのことは認めます。しかし、そのことが当該生徒の自殺に結びついたかどうかについてはわかりません」とか、「意識を失った患者さんに対し適切な検査を怠りました。そのことは認めます。しかし、検査を行っていたら患者さんの命が助かったかどうかは疑問です」などなど、です。
そして、「風が吹かなかったら桶屋は儲からなかった」ことを証明するのは、いつも被害にあった人たちの、果てしない苦痛と労力を要する仕事になります。