トーキング・ヘッズ

トーキング・ヘッズの"Remain in Light"は大好きなアルバムで、今でも半年に1回ぐらいは聞いていると思います。1980年以来、何回聞いたかわかりませんが、いまだに収録曲の歌詞は理解できません。謎です。でも、好きなんですねぇ、これが。
中でも、3曲目の"The Great Curve"はイカします。歌の意味もわからず(「世界は女のケツの上で踊る」って言われても・・・・・)にどこがイカすのかというと、凡人には理解不能な、その混沌さが、です!

1980年12月のイタリアでのライブです。ゲストのエイドリアン・ブリューのビョーキっぽさが、この歌の魅力に拍車をかけてます、よね!? もちろん、絵的には、ティナ・ウェイマス嬢のイロっぽさも見逃せません。

Remain in Light

Remain in Light

娘には「世界史」を学習してほしいな、と思う。

平成17年度学校基本調査速報(文部科学省)を見ると、いまの日本の高校進学率は97.6%だそうです。私の娘はまだ小学校中学年ですのでまだまだ先の話ですが、おそらく彼女も高校には進むのでしょう。そして、高校生の17.4%しか就職を選択しない(同調査)ことから、彼女にどれだけの能力と適正があるのかは別として、高校卒業後、さらになんらかの教育機関に進学する可能性が高いと思います。

じゃあ、彼女に高校でどんなことを学んでほしいかというと、現時点では、その先の進路希望がどうあれ、「広く一般教養を」が率直な願いです。ここ数日マスコミが騒いでいる世界史未履修問題についても、自分の娘にはぜひとも「世界史」を学んでほしいと思います。

歴史はモデルの宝庫です。私たちの社会がどのように変化・発展してきたのかを示すモデルはもちろん、さまざまな成功や失敗のモデルにあふれていますし、自身の将来を重ね合わせられる人物モデルが見つかるかもしれません。娘にはそうした多用なモデルに接するチャンスを捨ててほしくないと思います。

例えば、場所も時間も遠くかけはなれた「古代アテネ民主化」など学んで何になるとか、と疑問視する人がいます。しかし、そこには、わたしたちの社会の基盤である民主主義と資本主義を考え理解するのに役立つヒントが潜んでいます。

アテネはもともと王政でしたが、紀元前7世紀ごろには「貴族共和政」が行われるようになりました。この段階では、政治に参加できるのは貴族だけでしたが、奴隷はもちろん、平民たちも、政治に参加できないことに不満はありませんでした。なぜなら、アテネには、国の政治に関われる条件として、①軍役を果たすことと、その際②武具は自分で準備することが広く合意されおり、この義務を果たしていなかった平民は、自分たちが国政に参加できないことを当然のことだと受け止めていたからです。この当時のアテネの軍隊はいわゆる騎馬隊だったので、高価な馬など買う経済力はない平民に、軍役を果たすチャンスなどなかったのです。
しかし、商工業が発達し財産を持つ平民たちが現れはじめ、並行して、戦術が騎馬戦から歩兵を主力とする集団戦に移行すると、事態は少しずつ動きはじめます。
平民にはいまだ馬を買う余裕はありませんでしたが、その多くは槍や楯などを準備するのに十分な財産を持つようになりました。実際かれらは、それらで武装し国防に重要な役割を果たすようになったので、当然、参政権を求めるようになりました。かれらと既得権を渡すまいとする貴族は激しく対立しましたが、「軍役=参政権」というアテネの掟は守られ、有産市民は参政権を獲得します。
紀元前5世紀、アテネは未曾有の危機に直面します。東方の大国ペルシアが攻め込んできたのです。ギリシアのポリス連合軍は、サラミスの海戦でペルシアを破り、勝利を得ました。このとき活躍したのが、懸命に戦艦をこいで敵艦に突進した貧しい市民たちでした。かれらは、馬は愚か、槍も鎧も楯も買えませんでしたが、フンドシ一丁でみごとに軍役義務を果たしたのでした。彼らは参政権を求め、その要求は聞き入れられました。こうして、アテネの民主政は完成します。まさに、義務と権利が表裏一体となる民主主義の原形が、この物語の中にはあると思います。
ここでこどもたちは「完成だって?」という疑問を持つと思います。参政権を得たのは平民男子だけで、奴隷と女性は依然として国政に関われなかったからです。ここに、奴隷制を基盤とした「古代」の典型を見ることができます。さらにこどもたちは、教科書の数ページ先に「ギリシア古典文化」を総括する記述があり、おそらく、アリストファネスという人が書いた『女の平和 (岩波文庫 赤 108-7)』という本が紹介されているのを見つけます。これは、政治と戦争にうつつを抜かす男たちに対し、女性が結束して反乱を起こすという抜群におもしろい物語です。彼女らの戦法はなんと、セックス拒否! 女たちの反乱が功を奏して戦争が終るというのが結末ですが、考えてみれば、現在の少子化問題にも共通するテーマを含んでいるような気がします。また、この物語から、こどもたちは、女としてしたたかに生きてゆく道を、また、女性と上手に付き合ってゆく道を見出すことになるかもしれません(ってなことはないか!?)。

こどもたちは、アテネ民主化の中に、もうひとつ興味深いサブストーリーを見つけます。ソクラテスです。彼は誤解をうけて死刑の判決を受けます。ソクラテスの命を惜しむ人びとは彼に脱獄のチャンスを与えますが、彼はこれを拒んで自ら毒杯をあおります。師の死に直面した弟子プラトンは民主主義を憎み、理想を見つめる人間だけが政治にかかわるべきだ、と主張しました。こうしたソクラテスの死から、民主主義はときに無実の人間を殺すこともあるのだ、という事実をこどもたちは知り、裁判員制度への関わり方など、身近で具体的な問題にも思いを広げてゆくことになるかもしれません。

長々と書いてしまいましたが、今から2000年以上も昔の、ヨーロッパの片隅で行われた人間の営みでさえ、現在の私たちにこれほど多くの示唆を与えてくれることを考えたとき、現在の、また、この先向かい合うさまざまな問題を解決するために、日本のこどもたちが世界の歴史を学ぶ価値はじゅうぶんある、と言いたいと思います。「世界史A」という科目なら、たった2単位です。大学受験に不要だとしても、1年の間、週2時間だけ世界史を学ぶ時間さえも惜しまなければならないという主張には、私はどうしても賛成できません。