息子に見せたいオヤジのCD棚....#001

DEVO

数年前、同じような「オヤジのCD棚」というコーナーを某掲示板に設けてみたのですが、すぐに閑古鳥な鳴きはじめて開店休業状態・・・・・。でも、一時はそれなりに盛り上がったので、ここでもう一度復活させてみようと思いますます。時代や国籍やジャンルは問わず、自分のLP・CD棚に鎮座するアルバムを気まぐれにピックアップして、勝手なとんちんかんコメントを添えながら紹介します。お付き合いのほど、よろしく!
Q: Are We Not Men? We Are Devo/DEVO (1978年)
第1回のきょう紹介するのは、アメリカのニューウェーブバンド「DEVO」の邦題「頽廃的美学論」です。

Q: Are We Not Men? We Are Devo

Q: Are We Not Men? We Are Devo

1970年代後半、イギリスではじまったパンクムーブメントが、あれよあれよという間に世界を席巻しました。すると、それまでの商業音楽は、様式が定まって完成した感のある古典的なハードロックはもちろん、「進歩的」ゆえにそう呼ばれたプログレッシブロックまでもが、十把ひとからげに「オールドウェーブ」音楽とされ、時代遅れの遺物として片付けられてしまいました。止むに止まれぬ不満や怒りもないように見える同世代の日本の若者も、ファッションとしてパンクを受け入れ、髪を逆立てたり、カミソリの刃をぶらさげたりしていました。「アホか」。時代遅れのロックファンたちは、肩身の狭い思いをしながらも、彼らに冷ややかな視線を注いでおりました。
パンクの時代は長つづきはしませんでした。でもその後、ポストパンクとかいうレッテルを貼った、ニューウェーブな連中が続々と登場します。そのひとつが、五大湖沿岸の化学工業都市アクロンから出てきた「DEVO」でした。日本では、YMOクラフトワークあたりと並列的に語られましたが、自分の耳には、はじめてピンとくるメッセージを持った「パンク」として聞こえました。
国家や世界情勢に反逆する正直なモチベーションはなくても、十代後期の少年ですから、それなりに出所不明なイライラ感や不満は持ち合わせており、そんなもやもやな気分が、このアルバムに収められている「サティスファクション」と見事に共振したのです。また、ただ理屈を並べるばかりで無力な自分をあざ笑うような「プレイング・ハンズ」、バンド名「DEVO=devolution=退化」の謎解きにも通じる「ジョコ・ホモ」などなど、それらのシニカルな主張に大いに共感しました。
現在の日本の若者には、当時の私たち以上に、自分たちを取り囲む現状に対する不満を持っているはずです。でも、その不満な思いは、無力感や厭世感に醸成され、自殺や自殺と同根の心理で行われる犯罪として現象化はしても、怒りや反逆には結びつかないでいるように見えます。チャートを席巻する歌はあいかわらず、惚れた腫れたや呑気なバラードばかり。それが日本人の気質なのかな・・・・・なんだか物足りない。あのパンクムーブメントから30年。今となっては、なんだか懐かしく、まぶしく想いで振り返りたくなってしまうオジサンではあります。