日米「家出ソング」選

グアム島で元日本兵の横井さんが見つかり、札幌オリンピックが開かれ、お茶の間の目が浅間山荘での攻防に釘付けになり、川端康成が自殺し、沖縄が日本に返還され、赤軍がテルアビブ空港で大暴れし、田中角栄日本列島改造論をぶち上げ、ニクソンウォーターゲート事件で失脚し、ミュンヘン五輪が血に染まり、上野にパンダがやって来て、アメリカが北爆を再開したその年、昭和47年、こんなアルバムが発売され、当時中学生だった私は、高校生の姉さんがいる同級生の家で何回かそれを聞きました。

彷徨(紙)

彷徨(紙)

小椋佳の初期の作品をあつめた編集物で、思春期の少年の心境がナイーブに歌われた作品が多く、それなりに共感を覚えた記憶があります。特に、『木戸をあけて』は、「家出をする少年がその母親に捧げる歌」の副題にあるように、何度か家出を考えたことのあった私にぴったりな感じがしました。親から離れることへの不安。恩義を感じるべき親との関係を絶つことへの罪悪感、のようなもの。
家出少年(青年)のための教科書、のようなもの、もありましたね。
家出のすすめ (角川文庫)

家出のすすめ (角川文庫)

寺山修司は、単純に家出をすすめていたわけではなく、親や大人たちが善しとして強いてくるものを一度すべて捨ててしまう手段としての家出を勧めていたわけで、潜在的家出予備軍だった私にとって、なかなか刺激的なテキストでした。
一転、アメリカの大衆文化の中に、「家出」がどんなふうに登場してくるのか探してみると、あんまり見当たらないような気がします。思春期の少年が成長してゆく過程や、その時の悩みや葛藤みたいなものをテーマにした作品は山ほどありますが、親から離れることへの罪の意識みたいなものをあつかったものは思い当たりません。
そんな中、真っ先に思い浮かんだ家出ソングがあります。ボブ・ディランの『くよくよするなよ』です。1963年に発表された『フリーホイーリン』というアルバムに入っていました。ディランの中では、間違いなく一番好きな歌です。
Freewheelin Bob Dylan (Reis)

Freewheelin Bob Dylan (Reis)

先の小椋佳の『木戸をあけて』と同じく、この歌の主も、家を飛び出して、まだ明けきらないくらい街へと歩き出します。『くよくよするなよ』の彼もまた、『木戸をあけて』の少年と同じように後ろ髪を引かれるのですが、「同じことを二度考えてもしゃあねえや。これでいいんだ」と迷いを振り切っては、歩を進めていきます。二人の若者はよく似ていますが、関係を絶ち切ろうとする相手が違います。『くよくよするなよ』の主人公が家出するのは、恋人から離れるためです。おそらくアメリカ人にとって、高校生くらいになった少年が母親から離れることはごく当たり前で、ことさらドラマチックなことでもなんでもないんでしょう。だから、なかなか歌や小説や映画などにもなりえない。
先日YouTubeで、この『くよくよするなよ』を歌っている青年のビデオを見つけました。もしかしたら案外若くて、少年、と呼んだほうがよいくらいの年頃なのかもしれません。暗い部屋でビデオを自身でセットし、ギターとハーモニカを手に歌う自分を正面からでなく斜から写すあたりに、彼の内面的な薄暗さが表れていて、たいへん気に入りました。
■"Don't Think Twice It's Alright" Justin Hillという青年
ね、いいでしょ、この人。友だちにしたいタイプではありませんが、年がら年中いつでもニコニコ笑ってるような人よりは信用できそうです。
せっかくディランの名前が出てきたのにこれだけでは物足りないので、最後に、同じくYouTubeで見つけたクリップをご紹介したいと思います。テロップ付きですので、ディランといっしょに歌ってみてください!
■"Subterranean Homesick Blues" Bob Dylan