"Not Ready To Make Nice" Dixie Chicks

喜怒哀楽。人間を突き動かす衝動。音楽や文学や美術などの芸術を生み出すモチベーションだって根っこは同じだし、それが自然だと思います。私たちの日常生活によりそっている大衆文化ならなおさら。でも、前にも書いたかもしれないけど、日本の文化の中には、怒りに根ざしたものの割合が、他の民族のそれにくらべて極端に少ないように感じます。怒りの感情を表に出すこと、怒りに導かれて創作すること、そして、怒りそのものは、そんなに避けなければならないことなのでしょうか?

テキサス出身の3人組ディクシー・チックス。彼女らは2002年にリリースした『ホーム』というアルバムの中に、"Travelin' Soldier"(『パール・ハーバー』を流用したプロモーションビデオYouTube)と題する、外地に出征しようとする若い男とその恋人をモデルにした歌を収録しました。同時に、「ブッシュと同じテキサス人であることを恥じる」などという反戦・反政府的な発言を繰り返しました。時おりしも、大統領が一般教書演説の中でイラン・イラク北朝鮮を名指ししたいわゆる「悪の枢軸」発言を行い、世論もイラク侵攻を圧倒的支持で承認していた時期でした。
彼女たちは集中砲火を浴びました。ロックやヒップホップの世界ならまだしも、ディクシー・チックスの活躍の場はカントリー畑、ご存知のように、カントリーファンの多くはコテコテの保守層で占められていますから業界からは抹殺され、ごく普通の日常生活も送れない状態になってしましました・・・・・・と思っていたのですが、つい最近、ディクシー・チックスが『テイキング・ザ・ロング・ウェイ』という新譜をリリースして元気にがんばっていることを知りました。
ディクシー・チックス復活を報じるCNNニュース (YouTube)
しかも、彼女たちは苦境に屈していませんでした。それどころか、怒りの炎は燃えつづけ、さらに痛烈なメッセージを発していたのです。とりあえず、下のプロモーションビデオをご覧になってみてください。
■"Not Ready To Make Nice" (YouTube)
題名は『まだ収まっちゃいないわよ』、というところでしょうか。英語の歌詞は完全には聞き取れませんが、「『お前らは黙って歌だけ歌ってればいいんだ』なんて手紙、よく書けたものね!」とか、「見も知らない人を憎むことを娘に教えなければならない母親って哀れよね」とか、「あれ以来、わたしの人生は変わってしまった。それでよかったと思ってるけどね」とか、とにかく文字通り、ストレートな怒りの表現に終始しています。PVの映像がまたすごいですね。舞台はキリスト教の異端審問会場。ディクシー・チックス抹殺の急先鋒となった神様バンザイな連中に対する露骨な反逆。「蒙昧なカントリーオヤジたちの支持なんか、もういらないわよ」ってことでしょうね。事実、その後の彼女らのファン層はガラッと変わってしまったそうです。今となっては、イラク戦争賛成派も開戦当時の72%から36%に半減してるそうですし、ビジネス的にも彼女らの選択は正しかったのかもしれません。
"Travelin' Soldier"にしろ"Not Ready To Make Nice"にしろ、表現方法が攻撃的であるわけではありませんよね。でも、攻撃すべきところはどこかをはっきり見据えて、堂々と臆することなく怒りの感情をぶつけています。私が知らないだけで、こういう歌が日本にも流れているのでしょうか?